読書の楽しさを再認したい。

なかなか本を読めていないので、何とか
読書量を増やす方法を考えてみようと
思います。どうやったら一日一冊という
京○夏彦さんの伝説に辿り着くことが
出来るのか。

まず読書に必要なのは何なのか、
というと、もうこれはただただ、
時間です。読書には時間が掛かる。
だから、時間を作り出す必要があります。
これを達成するには、今使っている
どうでもいい時間、ニコ動のラジオを聴いたり、
えー、そう、今どうでもいい時間っていうと
これぐらいですが、あとそうですね、
ゲームをやっている時間をなくして、
読書に費やせばよい、と。
過去に聴いたラジオはもう聴かない、とか。
当たり前といっちゃ当たり前ですが。

それから、どうでもいいネットサーフィン(死語)
の時間を削る。私よくアマゾンを眺めて、
あー値段下がってるなー、とか、
これ安くなっているから、今度買おう、とか、
要するにウィンドウショッピングの代わりですね。
ある程度は楽しいんですが、
買い物自体を楽しんでいて、買い物によって
買った物をあんまり楽しんでない、
というもったいなさ。
本もCDも積んでる。もったいない。
ので、これも時間を絞るべきでしょうね。

で、以前書いた集中力の問題。
一冊の本を読んでいる間にも集中して、
ずっと読み続ける。速読ではないですけど、
可能な限り速く読む。
必要以上に拘泥しない。

でも一番重要なのは、読書の楽しさを
再認することなんだろうな、と思います。




で、今思ったんですけど、職業の関係で、
人に物を推薦したり、説明したりしなきゃ行けない
事情が出てきたんですね。
今までは、出来るだけ他人に話さずに、
自分の中の肥やしにしておこう……と思って、
読んだ本とか観た映画とか、
出さなかったんですが、そうもいかなくなってきた。

だから、このブログで書いていこうかな、と思います。
とりあえず、読んだ本について。
いわゆる読書ブログにしようかな。
よろしくお願いします。

技術だけでは何とも。

映画を観てきましたが、ちょっと引っかかったので沈黙。
うーん、脚本が甘いように思えてならないんですよね。
枠組みに乗っかりすぎているというか、
技術的に面白いことをしているから、お話が
必要以上に簡素になってしまっているというか……
どれだけ技術的に意表を突くようなことをやっても、
それが内容を伴っていなければ、どうにもならないですね。
悪くはない映画でしたけれど……

静と動=写真と映画:絵と漫画:詩と小説

名写真家が映画撮って面白くなるかどうか、
っていう問題ですね。
もちろん面白くなる人もいますが。
RT @*****
イラストは素晴らしいが、
漫画になった途端に精彩を欠く
絵師さんっている。

詩人が小説を書けるか、
という問題に拡張することも出来ますね。
そしてこれは「瞬間」を描くか
「時間」を描くかの違いと一般化できる。
漫画は絵のようでいて、
実は視線誘導と台詞の
読み取りの複合という手法なので、
魅力的なイラストとは根本的に違うんですよね。




というツイートを書きました。
「イラストでは魅力的なのにマンガを描くと
途端に残念になる作家さんがいるのは何でだろう」
というツイートを見かけたので、それに
ついて考えてみたのですが。

静的なものを作る才能と、動的なものを作る才能、
一瞬を正確に魅力的に切り取る才能と、
長時間を語り通す才能、やはり違うのですね。
もちろんこれは、重複して持つことは可能です。
一般的には、静的なものを作る才能も
同時に持ち合わせている動的なものの作り手は、
非常に豊かで、実り多い物を創り出すと思います。

前者と後者の違いとしては、やはり、
「物語」のあるなしが関わってくるのかな、
という気がします。
人間は時間を物語形式によって認識する、
と言ったのはリクールですが、
下手に言及するとボロが出そうなので
やめておきます(ヘタレ)

時間と物語〈1〉物語と時間性の循環/歴史と物語時間と物語〈1〉物語と時間性の循環/歴史と物語
(2004/09)
ポール リクール

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↑名著なので是非。

ちなみに谷川俊太郎さんは、
「僕は小説は書けない」とインタビューで答えていました。

谷川俊太郎詩選集 3 (集英社文庫)谷川俊太郎詩選集 3 (集英社文庫)
(2005/08/19)
谷川 俊太郎

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ここでだったかな。

けっこうこれ、漫画でも小説でも映画でも、
重要な指標になる気がしますね。
なんかこの漫画読みにくいなー、とか、
この小説冗長だなー、とか、
この映画疲れるなー、とかいうこと、ありますよね。
キャリアの最初の段階では特にやらかしがちな
ことだと思いますが、時間的流れ、
テンポが遅い。取捨選択が甘い。
情報量が必要以上に多い、すなわち、
絵や写真、詩のように作ってしまっている。
その所為で受け手に必要以上の負荷がかかっている。
ありますよねー (『こんなに近くで』早く直さないと……)
絵としての完成度を追求しすぎて、
漫画になってない、とかね。新人さんの作品で
多いように思います。そこからどう削ぎ落としていくか。
どこを残すか。重要になりますね。

作品の情報量と時間の流れ、っていう側面からも、
ちょっと考えてみたい気もするけど、また今度。

漫画に関するツイートメモ。

自分のツイートメモ。




名写真家が映画撮って面白くなるかどうか、
っていう問題ですね。
もちろん面白くなる人もいますが。
RT @*****
イラストは素晴らしいが、
漫画になった途端に精彩を欠く
絵師さんっている。

詩人が小説を書けるか、
という問題に拡張することも出来ますね。
そしてこれは「瞬間」を描くか
「時間」を描くかの違いと一般化できる。
漫画は絵のようでいて、
実は視線誘導と台詞の
読み取りの複合という手法なので、
魅力的なイラストとは根本的に違うんですよね。

多様性を認める強さ。

やったぜ! 連休前にお金下ろしそびれたぜ!
イヤッハァ〜!! 財布がカラだぜ〜!!!


……うん。
いや、見事にやらかしたわけです。笑えないのです。
ガチで財布の中には埃しか入っていない状況で、
連休二日目。残り丸三日。
ていうか初日から人と遊びに行く約束してたのに
その状況。いや〜……
まあ何とかしますけども。

電車も行きだけでギリギリ、帰りは電車賃が足りないので、
二時間以上徒歩で移動して定期使える範囲に行って、
そこから帰宅、というね。
もちろん大豪雨の中ですよ。

まー……そういうこともあるよね、ということで。
貯まっている映画のビデオでも消化するかなあ。
ああ、あと、ルパンとヨルムンガンドも観ないと。




何でか分からないけど、Twitterの文章が
ここにまとめられなくなってるんですよね。
設定ではちゃんとまとめるようにしてあるんですが。
ここ数日で書いたことだと……

「○○が正しい、と言いたがる人は、
自分のやっていることを正しい、と言っているだけで、
つまり自己肯定である。そのついでに、他人を
否定したりする」

ということだったかなあ。
「○○はダメだ」「そんなのは間違っている」
「こうあるべきだ」「××に変えるべきだ」
「間違っているものを許してはならない」
というような言葉をメディアでも、それから
普段の会話でもちょくちょく耳にします。

自信がある人ほど、そんなこと言わない傾向にあると
思うんですけどね。自分に自信があれば、
別に自分が正しいとも思わず、他人を否定もせずに
成り立っていくことが可能になる、
多様性を容認できるようになるんですけど、
そうじゃない人は自己肯定のために基準を一元化して、
他人を否定するんですね。

「何で○○じゃないの?」
「××でいいじゃない」
「普通△△なのに、なんでしないの?」

こういう方法で一元化された集団は、
当然同じような人ばかりになっています。
思考の方法も、行動のパターンも
似通ってきます。すると、
弱点も共通になります。集団として弱いです。
一カ所を攻められると総倒れします。
それを避けるためには可能な限り多様な人を集めて、
その人たち全員が可能な限り自由に振る舞える環境を
作り上げることが必要になります。
アメリカの強さというのは、つまるところ
そういうことなんでしょうね。
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